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人生

2021年6月11日

知り合いの車にまつわる考え方が新鮮である。

知り合いが車を持っていない。

私の住む田舎では車がないとたいへん不便である。

知り合いは車がないからバスや電車で通勤をしている。

駅やバス停までの距離を毎日歩いている。

バスや電車の中では読書をしている。

知り合いは車がない状態を楽しんでいるのだ。

田舎の車事情

職場ではほとんどの人が車で通勤している。

田舎で車を持っていない人は本当にめずらしい。

子供やお年寄り以外はほとんどが持っている気がする。

一家に5台以上あることもありえる。

車がないと大変不便なのである。

バスや電車の本数がほんとうに少ない。

電車は1時間に1本くらいである。

駅自体が少ない。

私と知り合いの車事情

10年あるいは10万キロが車買い替えの目安になることが多い。

私の車は12年たった(走行距離は9万キロ)。

だから私は今年買い替えようと思っていた。

知り合いは車を15年以上乗っていた。

走行距離20万キロほど走ったそうだ。

そしてついにブレーキがおかしくなり廃車にした。

当然だ。

私は15年以上かつ20万キロという記録にびっくりした。

車に対する価値観

なぜ知り合いは15年以上も同じ車に乗っていたのか。

ずばり車に愛着があったからである。

子供や自分の両親を乗せたたくさんの車にまつわる思い出がある。

だから買いかえる気になれなかった。

  • 知り合いは車そのものにあまり関心がないのだろう。
  • 知り合いにとっての車の価値は車の外観にはないのだろう。
  • 高級車やかっこいい車に乗りたいという欲が少ないのだろう。

ちなみに知り合いは経済的にかなり余裕があると思う。

子供のために家族のために自分の通勤のために車は今まで生活必需品であった。

しかし子供が大きくなった今はそれほど車が必要でなくなった。

知り合いにとって前の車は多いに価値があるが、新しい車に価値を見出せない。

私は知り合いが新しい車に価値を見出せないということに驚いた。

通勤時間に対する考え

私は通勤時間が長いことは悪であると考えている。

私は通勤時間を少しでも短くしたいと思う。

しかし知り合いは言う。

  • 車に乗っている間は何もできなかった。
  • 時間が拘束されている。
  • バスや電車では読書ができる。
  • バス停や駅まで歩くから健康的である。

贅沢な時間であると言っている。

私は衝撃を受けた。

発想の転換

通勤時間が長いことは悪である。

→通勤時間が長くても善になりうる。

たとえば運動や読書など自分の好きなことができる。

田舎で車がないと不便である。

→不便と感じるかどうかは人それぞれである。

かっこいい車に価値を感じる人が多い。

→価値を感じるかどうかは人それぞれである。

まとめ

人によって価値観は違う。

自分の価値観は周りに合わせた価値観であったのかもしれない。

何事に対しても自分自身はどう考えているのか感じているのかを考え直す気になった。

目から鱗が落ちるという感覚であった。

明日もファイトーオー。

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