多くの高齢者(入院患者)が幸せそうには見えない、と私は感じる。
家に帰りたいと訴えても退院することができない(主治医の許可がおりない)。
手足を拘束されている(点滴などを外すことの予防目的で)。
なぜ人は自分で自分の最後の生き方を選べないのか。
元気な時に自分の老後について考えることをしないのか。
ただ1日でも長生きさせることが善なのだろうか。
自分が望む場所で最後を過ごしたい。
あと一日もつかどうかの末期の患者さんに採血は必要だろうか。
その採血は本当に患者さんのためになることなのか。
働くのであれば自分自身と自分の関わる人を幸せにする働き方をしたい。
1、自分の背景
職場で見る医療や身内の終末期医療において自分が感じたこと
①自宅に帰りたいと言う患者さんに、患者家族が受け入れられる状況でも主治医の退院許可がおりずに患者さんが病院で亡くなることへの違和感
(患者さんの最後の希望を叶えることはできないのか)
②あと一日もつかどうかという状態の患者さんに行われる採血などの検査への違和感
(患者さんに負担を与えるだけではないか)
③長期にわたって行われる経管栄養等に対する違和感
(患者さんや患者家族はどのくらい情報を知り、どのくらい納得しているのだろうか)
④ 自分の外祖母が10年以上意識がないまま寝たきりで亡くなったことへの違和感
(ほかの選択肢はなかったのか)
様々なケースがあり一概に上記のことが悪いとは言えない場合もあると思う。
医師の判断が、真に患者さんのことを思い、患者さんのためになっていることも多いと思う。
ただ、医師の判断が正しくても自分であればこのような状況を望まない。
そして患者さんが幸せそうにはあまり見えない。
自分であれば人生の最後をこのようなかたちで迎えるのは嫌である。
自分の親や親しい人にもこのようなかたちで人生の最後を迎えてほしくはない。
自分の働ける期間(あと10年から20年)の労力を、自分が納得できること(自分自身が幸せを感じ、誰かの幸せにつながっていると感じられること)に使いたいと思うようになった。
矢田明子さんの話をpodcast(コテンラジオ)で聞きコミュニティーナースのことを知り、漠然といいなと感じ関心を持つようになった。

2、現時点の理解
①収益がなくどのように運営するのか
スタッフ人件費や施設管理費を含む運営は、医療事業との併設(医療事業からの収益で成り立たせる)、企業の併設(企業が従業員の健康のために費用を投資する)、カフェなどの併設(カフェなどの収益で成り立たせる)があれば可能である。
②健診との違いは何か
~利用者の立場から~
病気であってもなくても、体調が悪くても良くても、だれもが立ち寄っていい場所だから、ハードルが低い
(予約不要、料金不要、理由不要)。
悩みなどを人に話することで、すぐに効果は見えないが、それが病気の予防につながる可能性がある。
セルフケアの助けになる。
~スタッフの立場から~
色々な人生模様に携わることで、スタッフの経験が豊かになり視野が広くなる。
別の業務に活かすことにつながる。
健診は身体の不調を検査結果から見つけ病気の早期発見になるが、検査結果が良い場合や自覚症状がない場合は健康と判断される。
悩みがあるかないか、幸せかどうかは健診であまり考慮されない。
~社会にとって~
人と話す→
人と人がつながる→
セルフケア向上→
楽しく幸せに生きる→
病気の予防→
医療費削減
③現状
親しい人に悩みを相談する
無料・有料カウンセリングを受ける
症状があるときは病院に行く
簡単に相談できるところや救いを求める場所や人が思いつかない
職場・コミュニティ(近所・趣味グループ・友人)・家庭で相談できる場があれば良いが、、、
コミュニティナースとは、人々の日常の生活を楽しくするための手伝いをする人たちであると理解した。
人の話しを聴くことも、人と人を繋ぐことも、人が楽しく生きる手伝いになる。
人と人が繋がることで病気の早期発見になることも、楽しく生きることで病気の予防になることもある。
まとめ
人生の最後はどうしたいかを気軽に話し合おう
病気や症状がなくても人に相談して話してみよう
『死ぬときぐらい好きにさせてよ』by 樹木希林(きききりん)さん
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